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 文化TOP熊本市の文化財文化財の種類と紹介史跡>健軍神社杉馬場

市指定 記念物 遺跡 史跡 健軍神社杉馬場   健軍2丁目他
 県立商業高校脇の電車通りに、健軍神社の大鳥居がある。この鳥居をくぐって暫く東へ進むと、道が急に広くなり、その南手に折損した大銀杏がある。通称八丁馬場と呼ばれるのは、これから東に直線で健軍神社の門前までの区域である。両側には加藤清正の頃植栽したと伝えられる杉並木があるが、戦中・戦後の荒廃により、現在では神域に近い部分のみその亭々たる偉容を見ることができる。杉並木の間の中央参道は、清正の頃の騎馬訓練の馬場として利用されていたので、その名がついたという。8町(約900m)というが実際にはそれより長く、10町40間(約1200m)あると言い、江戸時代明和頃
(1764〜72)には大杉300本があったと記されている。
健軍神社杉馬場の写真


 文化TOP熊本市の文化財文化財の種類と紹介史跡>健軍神社境内

市指定 記念物 遺跡 史跡 健軍神社境内   健軍本町
 この神社は昔は「たけみや」と言い、竹宮または健宮と書いていた。のちに健軍宮と表記するようになったため、昭和になって「けんぐん」と音読するようになり、遂に現在では「けんぐん」が神社名と地域名になってしまった。この社の祭神は、もともとは境内にある国造社の神、火国造の祖健緒組(健緒純)であったと考えられる。健緒組は先代旧事記によれば、祟神朝の人とされている。この社も平安末期か鎌倉初期に阿蘇大宮司の支配下に入り、一時健軍宮司職も存在した。神社の地上物件は戦国期の争乱でほとんど消滅したが、約1000年にわたる神社遺構であり、全域にわたって縄文晩期の遺跡でもあるので、考古学上、歴史上重要である。
健軍神社境内の写真