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| 国指定 史跡 | 阿高・黒橋貝塚 |
| 浜戸川左岸の貝塚を阿高貝塚と右岸の貝塚を黒橋貝塚という。
二つの貝塚がほぼ同時期に存在し、距離も近いところから両貝塚を一緒に、阿高・黒橋貝塚として指定された。
阿高貝塚は大正5年(1916)の耕地整理のとき発見され、調査によって50体に及ぶ人骨の他貝面など多数の遺物が発見された。九州の縄文中期を代表する阿高式土器は、この貝塚の土器を標識とする。黒橋貝塚は昭和47年の集中豪雨によって堤防が決壊したことから発見された。その後、河川内にもその広がりが確認されたことから、阿高貝塚と連結しているとも言われる。
発掘調査によって、土器の他。骨角器や石器が多数発見された。
特に動植物遺体は、当時の食生活を知る大きな手掛かりとなった。 所在地 城南町阿高東原・下宮地萱木 年代 縄文時代中期〜後期(約4,500〜4,000年前) |
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