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| 市指定 有形文化財 建造物 | 清田家住宅 附細川忠興知行宛行状他9点 |
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| 清田家の先祖は、豊後国主大友氏の支族であったが、細川氏豊前国統治時代、初代五郎太夫は忠興の家臣となり、弟寿閑の娘・吉は立孝(宇土支藩祖)、興孝(刑部家祖)を生んだ。近世後期に本家を嗣いだ栄太は、明治維新後城下を離れ、縁故のあったこの地で地主業に転じた。 清田家の敷地内には、主屋を中心に長屋門、米蔵、外塀、内塀が残されている。建築年代は米蔵が明治6年(1873)、主屋が明治9年(1876)である。主屋の内部は、東側に家族の生活の場である茶の間、土間、西側に接客のための玄関、座敷が続く。 この形式は、江戸時代末期の庄屋造りを踏襲するものの、屋根は入母屋、瓦葺きである。また内部の柱・梁・桁などの部材は太く、このため力強い生活空間を形成している。 清田家所蔵文書のうち、慶長17年(1612)の知行宛行状、同目録には忠興の花押、ローマ字朱印が、また、寛永10年(1633肥後入国直後)の知行目録には忠興のローマ字藍印が押されるなど、貴重なものである。 |
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