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平成19年熊本城は築城400年を迎えます
熊本城みてある記(10)

肥後藩の御役所機能…
三つの大手門を備えた西出丸

 行幸(みゆき)坂を登った部分、熊本城本丸の西北側を「L(エル)」字状に覆うように張り出しているのが西出丸です。東西と北は深い空堀、南は崖(がけ)に面した要害です。この曲輪(くるわ)が完成した時に加藤清正は、「もし自分が居ない時に敵が攻めて来てもこの曲輪を攻略するのに百日は掛かるだろう、その間にどこに居ても城に帰って来ることができる」と言ったと伝えられています。
 この西出丸には北・西・南の3面に大手門が配置され、そのうち西大手門が正面に当たりました。曲輪の隅には、東北に櫨方(はぜかた)三階櫓(やぐら)、西北に戌亥(いぬい)櫓、西南に未申(ひつじさる)櫓の各三階櫓が建てられ、そのほか元太鼓櫓・御客方(おきゃくかた)櫓・井樋方(いびかた)櫓などがありそれぞれ長塀で結ばれていました。このうち平成の大復元で戌亥・未申・元太鼓の3櫓、西・南の大手門と長塀が復元され、二の丸から見ると背後に大小天守と宇土櫓が聳(そび)える往時の景観が蘇(よみがえ)っています。
 この曲輪の内部には各種の役所機能が置かれていました。行幸坂の上の部分、西と南の大手門の南側にあったのが奉行所です。現在の県庁と市役所の役目がここにあったもので、今と比べると随分身軽な行政組織と言えるでしょう。整備前の発掘調査では、役所で使っていた硯(すずり)や絵具にする孔雀石(くじゃくいし)(緑色の材料)なども出土しています。
 北側の広場の部分には大きな倉庫が建っていました。熊本城内に二つあった米蔵の一つで、西の御蔵と呼ばれています。絵図には、その北側に「御銀所」と書いたものもあり、年貢の米や藩札発行など財務関係の役所があったところです。
 曲輪の内、鍵の手に東に折れた現在加藤神社境内となっている部分は櫨方と呼ばれました。肥後藩では蝋(ろう)の材料となるハゼの実を管理していて、その役所「櫨方」が置かれたところです。熊本の専売局といえるでしょう。行幸橋際の入城口を「櫨方門」の料金所と呼んでいますが、この建物は櫨方の入り口(現加藤神社の鳥居)にあった門を移築したものです。これは長屋の一部に扉があり「長屋門」と呼ばれる形式で、城郭では「櫓門」に次ぐ城門です。

このコーナーは富田 紘一市文化財専門相談員が執筆しています。
 
復元なった戌亥櫓
 
東側より望んだ西出丸(熊本城復元模型の一部、熊本城天守閣展示)


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『植木市』


   
 

 熊本に春の訪れを告げる風物詩といえば「くまもと春の植木市」ですよね。
 この植木市の起源は、今から四百数十年前に、当時の隈本(熊本の前身)城主であった城親賢(ちかまさ)が始めた市(いち)に由来すると伝えられています。親賢公が病床にある子息を慰めるため「何か珍しいものを催すように」と城下に申しつけ、おもちゃの木の獅子頭(ししがしら)や雉子(きじ)を作り並べた市を開いたことによる、と「肥後見聞雑記」に記されています。
 その後、六代藩主細川重賢(しげかた)のころには薬草園が作られ、武士のたしなみとして草花を育てることを推奨したこともあって園芸が盛んになり、十代藩主細川斉護(なりもり)も園芸を奨励したことから「花連」と呼ばれる園芸家も出てきました。このころには毎年2月に植木市が行われていたようです。
 このように熊本城の築城より昔に始まり今日まで続く植木市は、今年から戸島で開催されることとなりました(詳細)。皆さんも春の訪れを感じに出かけてみませんか。

   

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